君の罪の子 我も罪の子

第6回 愛・理性・勇気〜与謝野晶子の伝説 その6

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:杉並なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

運命の出会い〜その3

結局、寛さんと信子さんは結婚したの?



親の反対もあって入籍はしなかったようだね。だから二人は駆け落ちするように上京した。そして、ほどなく子供ができた。その時の心情は寛の詩に現れているよ。「今ぞわが手にうれしきや、七年(ななとせ)ぶりに珊瑚(さんご)よりすぐれし珠のはちすより秀でし花のああ君は今ぞわが手に」

情熱的ねぇ。波瀾万丈の寛さんも、これで少しは落ち着いたんじゃない?



ところが、寛は初産の妻を置いて勝手にひと月以上も京都に行くなど、不安定な行動を取るようになる。文学活動にのめりこみたい寛にとって、子供の存在がプレッシャーになっていたのかもしれないな。結局、生まれた子はすぐに亡くなり、信子は寛の許を去る。原因のひとつとして、寛が信子の実家に借金を申し込んで断られたからという説もある。

何だか聞き捨てならないわねぇ。まるでお金目当ての結婚だったみたいじゃない?



寛は信子の後を追って帰郷するんだけど、離婚が決定的になると、事もあろうに今度は信子同様、かつての教え子であった林瀧野の家に行って、突然瀧野にプロポーズする。


うわっ、サイテー!



結局、瀧野は四人姉妹の長女だったから、 寛が入り婿になり、林姓を名乗ることで林家の了解を得た。実のところ、林家もなかなかの資産家だったようだ。しかし、新妻の持参金を借金返済に充てるなど、この頃の寛は、金目当ての結婚と見られても仕方ないような行状が見られるんだ。

どーしよーもない男ねぇ。



結局寛は明治32年(1899)、瀧野と麹町に新居を構え、翌年に詩歌を中心とした文芸誌『明星』を創刊する。ちなみにこの出版費用は瀧野の実家から捻出したらしい。


やっぱり…。そうだと思ったわ。



しかし、この『明星』が果たした役割は大きい。北原白秋、吉井勇、石川啄木といった後世の文学史を彩る詩人や歌人を輩出したからね。もちろん、晶子もその一人だ。明星第2号には、早くも晶子の歌が2首掲載された。「しろすみれ 桜がさねか紅梅か 何につつみて 君に送らむ」「肩あげを とりて大人になりぬると 告げやる文の はずかしきかな」この時詠んだ歌の対象は河野鉄南だったようだけど。

まだ初々しいわね。恋に恋してるって感じ。



『明星』の世評は高かったんだけど、まだまだ赤字状態で、寛は部数を増やす必要があった。晶子や山川登美子といった女流歌人を積極的に掲載したのも、スターを育てて若者の支持を集める狙いがあったと思うよ。

寛さんって生まれつき女性を利用するタイプなのね。



まぁまぁ、そう責めなさんな。この時代、文学で食べていくのは大変だったんだよ。寛は『明星』の関西への販路拡大を図るために大阪、堺、京都へ出かける。明治33年(1900)8月のことだ。

ははぁ、そこで二人は出会ったわけだ。



そう。8月4日、大阪の旅館で出会ってすぐ、晶子はビビッときちゃったんだな。翌日の歌会に参加して、15日には山川登美子を交えて堺の高師の浜で遊んだ。実はこの時、山川登美子も秘かに寛に恋していたらしい。

寛さんモテモテなのね。ハンサムでもないし、相当なダメ男なのに。



仕方ないだろ。まだ寛は27歳、晶子22歳、登美子21歳だ。若かったんだよ。翌月、晶子は河野鉄南に訣別宣言とも思える手紙を送っている。「むかしの兄様 さらば君まさきくいませ あまりこころよき水の如き御こころに」

あ〜、完全に落ちちゃったのね。もう何を言っても無駄だわ。



長い間晶子が抑えていたものが爆発したということかな。一方の寛は、信子の時と同じ過ちを繰り返そうとしていた。身重になった妻を顧みるどころか、実家へ金の無心をさせるばかりだ。しかも、婿養子として入籍する約束も守らなかったから、瀧野の実家からは離縁を迫られる寸前だったんだ。

またまた絶体絶命ね。まぁ、身から出た錆びだけど…。



そうこうしているうちに子供が生まれ、寛の許には、晶子と登美子から熱いラブレターが届く。寛の心が揺れる中、瀧野に不信感が芽生え、実家とはますますこじれる。寛は意を決して瀧野の実家を訪ねるんだけど、この時さらに大問題が発生する。瀧野の家では、先妻、信子の事を知らされていなかったんだ。

うわ〜、ますます最悪。



結局瀧野とは離縁するように申し渡された寛は、11月に再度大阪を訪れ、京都で晶子、登美子と再会し、永観堂の紅葉を楽しんだ。


そんなことやってる場合じゃないでしょ〜に。



そこで寛は自分と妻の冷えた関係をそれとなく二人に告白するんだけど、それがかえって恋心に火を付けることになる。一方で、娘の様子を察した登美子の父親が縁談をまとめてきた。登美子も自我を持った優れた女流歌人だったけど、当時の日本では、21歳の娘が親の薦めに逆らう術もなかった。まぁ、結果的には、これで晶子の強力なライバルが一人消えることになるんだけどね。

←共に鉄幹に恋し、姉妹の契りを結んだ晶子(右)と山川登美子

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